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感想の練習

この神がすごい!2015 -- 前編

 あけましておめでとうございます。と言うには日が過ぎてしまいすぎました。

 2016年となりましたが毎年恒例この企画、これをしなけりゃ2015年は終われない。第一回「この神がすごい!」の発表となります。ドンドンパフパフ

 この神もついに第一回、節目の年となりました。ここまでやってくることができたのもひとえに神を愛する皆皆様のおかげです。今年はいったいどんな神に出会えるのでしょうか。今からとても楽しみです。

 

 ひとつ前置きに。以降出てくる神漫画、などにつけられる神という言葉はすべて「神のようにすばらしい」という意味ではなく「神の」という意味です。

 

  今回は前半なので第1位から第4位までの発表となります。書いてから普通こういうものは下位から発表するのでは? と気がついたのですが、あまり気にしてはいけません。なぜならすべて等しくすばらしい神だからです。

 

 

※「2015年に公開・発表された作品」ではなく「2015年に私がみた作品」からの選出となります。

※紹介文には登場作品のネタバレを含みます

 

第1位 アポロン聖闘士星矢 天界編 序章 ~overture~)

聖闘士星矢 天界編 序奏 ~overture~ [DVD]

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 のっけから十年以上前の作品になってしまった。それもこれもすべて輝ける君フォイボスの神力が圧倒的であるのだからしかたない。アポロンは上記ジャケットの左上に描かれている赤髪の男である。燃え立つ髪のアポロン……キャラデザまですばらしい。

 その総登場時間僅か5分

 

 この作品は原作者である車田正美先生がメディアミックスにあたり、「今まで以上のスケールで作るべきだ」と連載当時描けなかった本編の続編、天界編の構想をスタッフに伝え、三部作として映画化した一作目、となる予定でした。

 が、残りの二作は作られていません。

 作られていないのは売り上げのためだと思われますが、それ以外にも車田先生本人から構想を聞いて制作したはずなのに、蓋を開けてみればまったくの別物となっていたとか。確かにこの作品はいわゆる車田節的な熱血少年漫画感は薄く、どちらかと言えば終始センチメンタルというか……悲劇的というか……同時期にアニメ化されたOVAハーデス十二宮編もわりとそういう感じに仕上がっていて、私はこの時期のこの感じはあまり好きではないのですが他のファンの方々としてはどうなんでしょう。突然謎のノスタルジックな曲がかかって哀愁漂うシーンになるという芸は原作当時のアニメからありましたが、ずっとどことなく感傷的であるのはまたなにか違うように感じる。基本的にはズガーンバゴーン熱血に戦って、意味が分からないし理屈も通っていないけど熱いことを言ったらなんかみんな納得しちゃったので押し通して、突然たまに湿っぽいノスタルジックなことを言って滂沱の涙を流しつつ、でも大技放ってかつての味方を殺すみたいな…… ずっとセンチメンタルなのは違うだろうと。ハーデス十二宮編は主人公たちを導く(?)大人であり人気キャラでもある黄金聖闘士たちが何人も死んでいく話なのでそういう空気が濃くなるというのもわからないでもないんですが、やはりずっと湿っぽくされると違和感がある。

 話を映画に戻すと、この映画が湿っぽいのは恐らく星矢には常に「神殺しというけして許されざる大罪」が圧し掛かっているからなのではないかな、と私は感じてます。が、そのあたりも作中で説明はされないので実際のところはわかりません。

 この映画は初めに述べた通り車田先生の構想とはかなり違うらしいのですが、それを除いても全体的にストーリーに説明がなく、わかりにくくなっています。なのでその辺りに納得がいく推測が立てられる、あるいは納得できなくても神の行いであれば受け入れられる信心深さがないとつらいかもしれません。

 

 本題である神について。聖闘士星矢という作品自体、基本的にはどのエピソードも人や世界を滅ぼさんとする神と戦う話であり、敵である神は必ず封印か倒される結末を迎えます。

 しかし人の身でありながら強大な、圧倒的存在である神と戦っている以上、敵である神を軽く描くわけにはいけません。そして同時に、どれほど強大な存在であっても、人間の強い力と心を合わせ、諦めずに立ち向かえば勝利することができる、という人間賛歌でもあるのです。王道ですね。

 だから結果的には神であってもタンクトップ一丁にひん剥かれて地べたを舐めさせられることにもなりますし、言動を描かれるほど間抜けになっていってしまうことは避けられません。神を描いてはならぬ。存在自体がイデアである神は一般的に描かれるほど俗物と化していき、劣化していくことを免れることができない。

 そこで、そもそもの登場時間を減らす。これよ!

 そんなわけでこの映画のアポロンは終盤突然登場し、ただただ圧倒的な神力を見せつけ、世界を滅ぼして映画は終わります。このあたりについても全然説明がないので実際のところなにが起こっているのかまったくわからないのですが、私はアポロンが世界を滅ぼし、新しい世界ができてまた星矢と沙織が出会った、という世界が一巡したエンドだと思っています。星矢世界において星矢たちに勝ち、その上世界を滅ぼした神はまだ他にいません。強いぞアポロン! さすがだアポロン!(世界をめっためたにした神は他にも複数人います)

 なによりとにかく格好よくて最高なのでぜひとも映画を観てください。ストーリー自体は、うーん……あまりフォローできないのですが……

 アルテミスも好き勝手言っててかなり神力が高いです。

 

 結局映画の天界編は続きませんでしたが、現在車田先生ご自身が続編として「聖闘士星矢 NEXT DIMENSION 冥王神話」という天界編にあたる続編漫画を不定期連載しています。

 他、主にスピンオフ作品についてですが星矢と神に関するこんな記事も昔書いたので合わせてどうぞ。この記事も結局この、タイトルにある通りに「失われる」のは神の都合なので神つええ~という話です。

wakudeki.hatenablog.com

 

 星矢作品はとにかく「神を殺すことはありえざる、許されざることである」というベースが徹底しており、なんだかんだ倒されるにせよ「神は圧倒的存在である」ということがしっかり描かれているので神作品としては大変オススメです。神殺し神殺し言ってるし言われますが、大抵実際手を下しているのはアテナです。人には神を殺すことはできないので。このシビアさもいい。

 他にも全体的に「こまけえこたあいいんだよ!」というスタンスであるところがなんとも後世に伝わった神話という感じでよいです。王道こそ正義。

 原作は現在三千円弱で全巻揃えられるのでお正月休みなどにぜひ。

 

結論:出番が少ないほどイデア力は高まる

 

 

第2位 足利義輝戦国BASARA4皇)

戦国BASARA4 皇

戦国BASARA4 皇

 

  この人はすごい。本当に神。特に皇の作中においては完全に神として描かれています。

 人格もとにかく無邪気で純真で、強くてなんでもできる完璧な王です。最高の王です。仕えたい。そしてぜったい仕えたくない。

 

 まず「戦国BASARA」という作品についてざっくり。

 「戦場において一度も傷を負わなかった」という本多忠勝を超解釈してロボットにしたことにも有名、なんちゃって歴史スタイリッシュアクションゲームです。基本的にはキャラクターごとにストーリーがそれぞれ存在し、それらのすべてが繋がることはないのですが、3においては天下分け目の戦いである関ヶ原の戦いが全員の主軸となり、関ヶ原に至るまでやその後を最早オリジナルストーリーだろうが!? という感じにまとめあげてくれました。これがすごい……シリアスなんですね……

 戦国BASARAをしたことがない方には意外であるかもしれないのですが、戦国BASARAのキャラ造形はかなり皆シリアスに作られています。そして多くが愚かに作られています。つまりコメディキャラたちもコメディキャラである以上に愚者や道化であり、制作側もその愚かさに自覚的なようです。なにしろその大半が自らの愚かさのために悲惨な目に会うこととなる。やったぜ。

 3は特にそういうシリアス長編的なストーリーとしての要素が強く、なによりストーリーもまとまり、戦国時代終盤の話となってしまったので、さて4ではどうなるものかと注目していたんですが、見た限り周囲での評判はあまり良くない。

 というのも従来のメインシナリオライターが4以降では参加していないためか、既存キャラクターのアイデンティティに疑問を持ってしまうようなシナリオが多かったせいではないかなと、私自身は感じています。そこについてはこの記事には関係ないので割愛。私自身そうした点には多々怒りも悲しみもしたのですが、それとは別に、4は好きですし、足利義輝は大好きです。BASARA4には従来キャラの解釈違いの他に十分な価値を持っていたからです。

 なにより戦国BASARA4は、「王の物語」として見たとき大変にすばらしい作品となっていました。

 そう、戦国BASARA4は「王の物語」なのです!!!!!!!

 

 それぞれの信じる王、目指す王、王によって踏みにじられた者、王を打ち倒さんとする者、そうした様々な王と、それに翻弄された者、立ち向かう者を描く「王の物語」となっております。もうこれがサイッッッコーーーーーーなんですよ!!!!!!! 「この神」とともに「この王」もやりたかったくらい神に並んで王も好きなので!!! そして4においてその頂点に立つ、生まれついての絶対的な王である人間が足利義輝なんですね。そういう存在として描かれている。

 そんな作品の続編として作られた作品に冠された一字が「皇(すめらぎ)」

 さいっっっこうかよ!?!?!??! やっぱり王の物語なんじゃん!?!?!?!??!?

 と発表時からゴロンゴロン転げまわっていたのだが、蓋を開けたらなんと……神の物語だった……。

 足利義輝は神だった。しかも生まれついての。

戦国BASARAはナンバリング作品の間に、無双で言うところの猛将伝的なものが挟まります。この猛将伝にあたる言葉が毎回違うのでややこしいんですが、4の場合は「皇」でした)

 

 戦国BASARA4において、神である足利義輝はとても退屈しています。足利の治世において平和となった世からは最早熱を感じることができない。これは足利さんの勘違いです(←実際そう初回特典の設定集に書いてある)。

 そこで、足利義輝は自ら帝の座を退き、世を戦国乱世へと戻すことで民草を再び熱く滾らせようとします。これを好機とばかりに、それぞれの武将は己の天下を目指したり、足利義輝がわざわざ平和を壊したことでどれだけの人が死に、苦しんだかと怒って足利を殺そうとしたりします。足利側へ付く者もいます。足利義輝は聡明なので、ストーリーによっては己の勘違いに自分で気がつくこともありますが、基本的にはナチュラルボーンキングなので気がつきません。民草に王の心が分からぬように、王も民草の心を知らぬのです。

 そこで臣下であり旧知である松永久秀が退屈を紛らわせるような娯楽を用意してやろうと頑張ってくれます。そうして4で作り上げたのが人間性を極限まで薄めた風魔小太郎です。それを足利義輝にぶつけます。

 このへんのすごく大雑把かつ概念的なのですが、戦国BASARAの話は大概が概念的です。恐らく松永久秀は、空っぽにした人間性は相手を映すのではと考えたのでしょう。なぜなら圧倒的な存在である足利義輝に相対することができるのは足利義輝自身に他ならないから。しかし足利義輝は暗殺者としてさしむけられた風魔小太郎を殺し、計画は失敗します。(このへんの暗殺についてなんですが、ここまでの流れも松永久秀が「帝めっちゃ退屈そうだよね。今めっちゃいい人育ててるから完成したら暗殺にさしむけるね」と言ったのに対して足利義輝が「え~っ暗殺しにきてくれるの~!? めっちゃうれしいしたのしみ」という感じで暗殺ってなんだっけ!?!? ともかくこの二人のメンタリテイはすごく好きです)

 

 ここからが皇の話になるのですが、松永久秀が次に目をつけたのは、二重人格者であり超能力者でもある千利休でした。これ打ちながら本当に意味がわからないんですけど大丈夫ですか!? 未プレイの方ついてこれてますか!? でも実際そうなのでそうとしか言えない。戦国BASARA千利休は二重人格者であり超能力者です。もちろん茶人でもあります。

 千利休の中には争いを嫌う物静かな「ワビ助(主人格)」と戦いを好む「サビ助」がいます。ワビ助は共感能力が高く、目の前にいる人間の感情が流れ込んできて、特に人の心の弱い部分などが勝手に見えてしまうようです。松永久秀は彼のその能力に目をつけて、邪魔な彼自身の人格をぐちゃぐちゃに破壊し、ただの鏡として足利久秀の前に立たせようとします。

 千利休の人格、人間性を破壊するにあたり、松永久秀千利休に聖人と名高い上杉謙信を殺させることにします。己を殺しに来た利休を見た上杉は、彼のうちに二つの人格があることに気がつくのですが「自分は聖人と言われようとただの人間であるので、無からなにかを生み出すことはできない」、できるのは消すことだけであり、そして消してやることがせめてもの情けである。と言い謙信もまた利休を殺さんと二人は戦いますが、千利休が勝利し上杉謙信を殺します。聖人であり、また紛いなりにも自分を救おうとしてくれた上杉謙信を殺してしまったことで千利休(ワビ助)の精神は崩壊します。

 人として壊れ、鏡となった千利休足利義輝の前に引っ張り出され、足利義輝の精神を映します。そこには傲慢な王の姿が映っていた。心のうちのすべてを言葉にされ、暴かれて、足利義輝は喜びます。(これは恐らく4において前田慶次という他者から己の心を理解され、それによって怒ってしまって自分でも驚く、というシナリオを経たからこその反応であるのだと思います)

 戦国BASARAにおけるコミュニケーションは(ゲームの仕様的にしかたないんですが)基本すべて戦いです。なのでこの場合も戦いにおいて精神を露にするのですが、戦い自体は当然足利義輝が勝ちます。

 そして自分を楽しませてくれた褒美として、千利休にもうひとつの体を作り、与えてやるのです。

 足利義輝は無からなにかを生み出すことができる。なぜなら神だから。

 す、すげえ……神話かよ…… 神話でした。

 

 他にも別のルートでは、みんなには「運命の好敵手」というものが存在するのに自分には相対する者がいない……とちょっとシュンとした末に、なにをするのかと思えば好敵手同士ペアで収集してどちらも自分のものにして、自分の前で戦わせてキャッキャツするとかいう運命CP厨の腐女子かな? みたいな頭がおかしい行為に走ったりすることもありますがとにかく行動原理と考え方はとにかく王です。王である以上にどうかしている。

 とにかく無邪気な人なんです。人である以上に王なんです。それが極まって神と化しているんですね。

 個人的には足利義輝という人は神である以上に完璧かつ私の理想の王なのですが、皇においては神として描かれているので神としての紹介でした。

 4が王の物語だ、という記事についてもまたいずれ個別に書きたいです。

 

追記:そういえば4では毛利元就も神となっていますね。でもこちらは神として存在しているというより神となるオチなので少し神度は低いです。4位の話にも繋がりますが、毛利のなる神は天上に唯一君臨し地上を支配する神というよりも安芸という地、民を十全に治め毛利の家を存続させるための奴隷としての神という印象が強いです。

 

結論:神の力を得た人間だから神なのではなく、生まれついての神であるから神の力を持つのである。

 

 

第3位 かおちゃん(「いかづち遠く海が鳴る」野田彩子)

いかづち遠く海が鳴る 1 (ビッグコミックス)

いかづち遠く海が鳴る 1 (ビッグコミックス)

 

 「かおちゃん」はとにかくパワフルで無邪気でひたむきな神である。

 覗き込んだ水鏡の向こう、愛した「こーちゃん」に会うため、傍にいるため、愛し合うため、己の玉座を飛び出して、彼のもとへと向かう。なぜ好きになったのか、どうしてそうしたいのか、彼女は「何」なのか、そうした説明はほとんどされない(少なくとも一巻時点では)。彼女はただ人ならぬ特別な力と地位を持った存在であることと、そしてひたむきな愛を熱心にこーちゃんへと注いでいること、それがわかれば十分で、それでいい。ただただパワフルで圧倒的、手段なんて選ばない、これは自分のいる場所よりも一次元下に住む人間へ恋をした者の物語である。

 

 「一次元下」と言うと、なにより思いつくのが、三次元に対する二次元である。私はオタクであるし、既存のキャラクターとオリジナルキャラクター(ないし自分と取ることも可能なアバター)との恋愛小説である、いわゆるところのドリー夢小説を書いていたし、今も書いている。

 野田彩子先生と言えば前作「わたしの宇宙」も話題となった。

わたしの宇宙 1 (IKKI COMIX)

わたしの宇宙 1 (IKKI COMIX)

 

  この作品では登場人物の一部が「自分は漫画の登場人物なのだ」と知覚している。なので、例えばキャラクターの一人がカメラ目線で「なにを見ている! おまえはだれなんだ!」と怒って問いかけたり、シャワーを浴びる際に「まさかこれも映ってるの!?」と不安になったりする。単純に漫画の試みとしても面白い。

 二巻完結なのだが、話は二巻で大きく動く。この漫画の作者であると自称する人物が登場するのだ。そして主人公・宇宙と会話を交わし、宇宙は作者の部屋でしばしを過ごす。二次元の人間が三次元と関わる、ありえざることである。ありえざることが行われたので私は憤った。けれど後書きまで読んで、考えを改めた。彼女は己の作った世界の人々を愛し慈しんでいるし、それが本来ありえざることと理解しているし、登場人物である彼らが自分たちの存在する世界を虚構であると不安がるところに、それでも世界は、きみたちは存在する、存在すると私は信じている、そう伝えたい、彼らの言動、考えるところのすべては彼女の支配下であるとともに完全なる自由にはならない、そうした様々な思うところがあることが、本編から感じられた。

 野田先生は、「わたしの宇宙」二巻のあとがきにこう記している。

私はお話の中のキャラクターによく恋をしますが
彼らが私の名を知らずに生きてるように
私も彼らのことを何ひとつわからないまま生きてるこの感じが
めっちゃ興奮します

 すごくわかる。なんともな部分を引用してしまってすみません。

 長々しましたが「わたしの宇宙」の紹介を通して言いたかったことは、「いかづち遠く~」のかおちゃんとこーちゃんの関係は「わたしの宇宙」における作中内作者と登場人物たちにどこか近い、「本来は次元が異なり関わることがないはずの関係」であるのではないか、ということでした。とは言え、「わたしの宇宙」における「作者」は途中から結局「作中人物の一人」となってしまうんですけどね。そういう辺りも、「描写されるほど神らしさは失われていく」という自論の通りであるように感じます。(1位のアポロンの項にも書いた通り)

 いかづちへ話を戻すと、こちらのかおちゃんとこーちゃんの関係も、三次元の人間と二次元の人間の関係に近しいものを感じました。特に原作を知っている主人公が作品世界内へとトリップする、異世界トリップもののドリーム小説めいたものを感じます。とは言えただでは済まなさそうというか、こーちゃんのほうにもなにかありそうなのですが。

 

 かおちゃんがいかに神であるかというのを話すべきなのですが、これはもう読んでほしいと言うのが一番で……。

 とも言っていられないので一エピソード紹介します。異なる世界線(と思われる)で再会したこーちゃんはなぜかかおちゃんの存在を覚えていたのだが、かおちゃんの目の前で殺されてしまう。異なる世界線でも覚えていてくれた「このこーちゃん」と結ばれたいと願った彼女は「時空の切除手術」を行う。この手術によって「かおちゃんが人界へ降りてから地上を立ち去るまで」の時間が存在しなかったこととなるのだが、手術とは「かおちゃんの指先の皮膚の一部を除去すること」であるのだ。ヒュ~~~めっちゃ神~~~~~~!

 そして普段のかおちゃんは一般的な人間と同じサイズであるのだが、手術の間にはとても大きくなっている。手のひらの大きさが人の身長と同じというくらい。他の人々は手のひらサイズなので、かおちゃんはサイズや姿を自由に変えられるのではないだろうか。神~~~~

 他にもテッポウユリから人間を生み出したり、やったぜとしか言えない神っぷりを惜しげもなく披露してくれます。かおちゃんは何者なのか、こーちゃんもまた何者なのか、二巻以降の展開が気になります。

 

結論:神としての強大な力を己の欲のみのため、奔放に行使する神はよい

 

 

第4位 クラベ(「シアワセニナール」ねむりコム)

シアワセニナール (IDコミックス gateauコミックス)

シアワセニナール (IDコミックス gateauコミックス)

 

  一巻完結のBL漫画。BLというよりは二人が男同士であるというだけ、あと表紙の金髪のほうが天使なのですが、彼が生前の少年時代おっさんに犯されていたというくらいであとはひたすらに神漫画です。

 

  あらすじ。天使の仕事は「幸せになれない人間を幸せにすること」。エリート天使ソトハの最後の仕事の相手は、人を疑うことを知らず、すべてを愛 し、許し、受け入れる、クラベという青年だった。クラベはその愚かなまでの寛容によって日々多くの人に騙され、裏切られ、殴られる。それでも彼はすべてを許し、世界や、人の生きることを愛し静かに暮らしていた。

 そんなクラベの前に現れたソトハは、彼の「幸せになることができない病」を治療しようとする。処方箋の効能は「人を疑う心、わずかな憎しみと利己的な欲望」。クラベにそれらはいらないものに思えたが、薬によってそれらを得た彼は、騙されることがなくなった。

  もうこの時点ですごくないですか!? 「(クラベが)幸せになるために必要なものは猜疑心」! この時点でものすごく熱い。すべてを愛し、許し、穏やかに生きているのに、人を疑い、苛立ち、憎しみを覚えることがなければ幸せになれぬと天使は説く。あつい。けれどやはり、クラベにとって人を疑うことは悲しかった。

 クラベの幸福は確かなものとなり、ソトハの仕事も終わる。クラベの人生のすべては順調に運び、七人の美女がクラベの元へ現れる。その誰かと結婚し、幸せに暮らすといい、そう言い残して天使は去った。けれどクラベはこれまでの人生の、不幸とされたもののなにが悪いのかわか らない。ただ目の前に現れた天使の、やけに暗い目が気にかかる。そうしてクラベは美女との未来を捨てて、ソトハと暮らすことを選んだのでした。というのがあらましなんですけど神要素が出てきませんね。

 

 とにかく単巻完結なので読んでいただきたいです、ほぼすべてのネタバレになってしまうので。いやまあランキングに上げられているのがクラベである時点でネタバレなのですが。

  この作品はかなり作者であるねむりコム先生の考え方のようなものが出ていて、それがよいなと思います。あらすじにも上げましたが「幸せになるための薬が猜疑心」って最高すぎか!? そうした上で、クラベにとって不幸とされたこれまでの生が悪いものであったとも思えない、というのもまたいい。

 これはソトハもまったく同じ経験をしていて、前述の通りソトハは生前の幼いころ、ともに暮らしている神父の男と毎日性行為を行っていました。神父はソトハ自身ではなく夕子なる女性を愛し、彼にその姿を重ねている。神父×ショタ最高だぜ。その状態は無論問題なのですが、呼ばれる名が己でなく女のものであっても、ともにいられて幸せだと言う男の言葉をソトハは嬉しく思っていたし、幸せだと思っていた。

 しかし彼の実状を知り、彼を保護した人々はソトハを「かわいそう」「不幸だった」とばかり言う。ソトハは男の愛を肯定したかった。けれど人々はそれをひたすらに否定し続けた。そしてソトハは人々の言う通り、騙されぬよう、利用されぬよう、猜疑心を手に入れ、憎しみや利己的な感情を手に入れて、世界と折り合いをつけたのでした。こうした構図も熱いです。

  同じような経緯を経ているからこそ、ソトハは天使の仕事も好きではなかったのではないでしょうか。「幸せにする」という行為の、そしてそのために「その人の現状を不幸であると断じる」ことの身勝手さをよく知っていたから。無論それ以上に自分自身が「幸せになりたかった」から、己のなしえなかったことを人に託してもいたこともまた事実であったのでしょうが。

 まだ神がでてこないぞ!? おいしいポイントはかなり話したので気になる方は読んでください! 読みましたね!? 続けます!(とは言え以降も読んでいない方にもわかるように書きます)

 

  クラベは世界を、人を憎みこそしなかったが、人を疑うことは覚えてしまった。すると世界は彼と同じに善良ではなく、彼のようにすべてを愛してもいないことに気がついてしまう。さきのソトハの治療によって回復したクラベの幸福因子は異常な上昇を続けていて、クラベは他人の記憶すら読み取ることができるようになっていた。このあたりから神の力の片鱗が窺えてきます。

 元よりクラベは人を憎みません。ひたすらに愛し、許す。これは並の人間にできることではない。クラベはどんな目にあっても、どれほど騙されても、迫害されても、憎しみも、怒りも、悲しみさえ、感じることはない。なぜなら人を愛しているから。これこそが神の素質であると思います。無論、神がすべてを愛さなければならぬとも思いませんが。神のあるべき姿ではあると思います。

 そして世界の薄情さ、「善意」が齎す傷、それまで信じていたさまざまなものが幻と知っても、尚、それらを含めてすべてを愛する。正に神の度量です。世界のすべてを知ったことが、彼の知覚するものを増やし、愛するもの、受け入れるものもまた膨大に、世界のすべてにも等しくなった。ソトハの「治療」こそが、クラベを神にしたのです。

 

 クラベは神になるのですが、彼とは別に現在の神も登場します。神はソトハの消えたいという願いを叶えるため、ソトハをゲヘナへと送ります。二人の暮らした部屋でクラベを迎えた神は己を「エス」、自我と名乗ります。

  この世界においての「神」とは「人間のエゴの総体、その先導者」であり、「人々が憎しみ合い、滅ぶまで殺し合いを続けぬよう、無意識下に善性を伝播する存在」で あるのです。人間のみのための神ですね。熱い。人間でありながらすべてを愛し、許し続ける、絶対的な博愛は作中で「精神の高潔に隷属する、そういう慈善の奴隷」と表現される。異常な博愛は病であり、「エス(神)」のそれは完全なものである。だからエスはすべてを許す。無論、エスとして目覚めたクラベも。

 しかしクラベはソトハが消えることを許さなかった。彼にとって、生まれてはじめての許せないことだった。いまさらですがこの漫画はネームが本当にすごいと思います。緻密で、考え尽くされている。とても概念的であるのですが無駄がない。

  ソトハが消えることを阻止する唯一の方法は、エスとしてのクラベにソトハを取り込むことでした。

 ソトハは世界を憎んでいる。憎んでしまった。それを捨てたかったけれど、捨てることはできなかったし、クラベもまた彼にそれでいいと言った。世界を憎むソトハを、エスとしてのクラベが取り込めば、愛し、 許すための機能であるはずのエスに憎しみが混ざる。白には黒が混じり、エスが伝播させる愛には憎しみが乗る。それは人類の「滅びの種」である。白に黒が混ぜられるという意味で、このへんは少しなんとなくfate/staynight(とfate/hollow ataraxia)を思い出します。

  クラベはソトハを救うため、人間の未来と命を犠牲にします。このへんもすごくさくっとしているんですよ! というか全体的にすごく描写がさくっとしてるんで す! 大体説明がモノローグで、モノローグがまたすごく概念的で簡潔的なんです。これが本当に無駄がなくてすごいのですが、人によっては「ポエムだな」と 読み飛ばしてしまいそうで心配。でも私はこの書き方がとても好きです。

 

 クラベの神としてのすごさとエゴさを説明するためにほぼほぼあらすじをすべて話すことになってしまったのですが、真のおいしさは読まなければわからないのでぜひ読んでみてください。

 クラベは次代のエスですが、現在のエスもとても神でよいです。彼にとって幸福とは「欲望」であり、現在のエスの姿は奔放で無邪気な少年として描かれています。彼もかなり神……という感じの神でとてもよいです。ですが強さではクラベが上なので、今回のランキング入りはクラベのほうで。世界滅ぼすし。

 

 本当にすごい漫画です…… 人は選ぶと思いますが、合う人には最高だと思うので気になる方はぜひぜひ。

  神としての力を己の望み(愛した一人の人)のために使うという点は、3位の「いかづち遠く海が鳴る」に共通しているのですが、二作ともまったく違う雰囲気のものとなっているのが面白いです。これについてはフォロワーさんも話していたのですが、「シアワセニナール」は概念的なものである一方、「いかづち遠く~」は物理的、肉体的であることが大きな違いであるかと感じます。どちらも好きなのですが、なんとなく読んでみてのパンチは後者のほうが強いと感じることが多いのでは ないかな、と思います。映像的にも。前者はどちらかと言えば小説向きなのかもしれない。でもこの、人間が滅ぶことを選ぶという壮大かつ残酷な選択をしていながら、緩やかに滅びへ向かう人の、いつもと変わらぬ(ように見える)日常の穏やかさなどをさらっと描いているのはすごく好きです。

  ねむりコム先生は刀剣乱舞の二次創作では石切丸とにっかり青江という「神剣になることについて」を話すエピソードのある二人を描かれているそうなので、神というものがお好きなんでしょうか。なんであれ「シアワセニナール」はすごく概念的なお話なので、概念的なものがお好きなんだろうなとは思いました。私も 概念的な話がすごく好きなので最高でした。神漫画でした。論理展開や理屈や世界設定、人の感情のさまざまさ、どれを取っても好きです。

 

結論:神がいて人がいるのではなく、人がいて神がいるのである

 

 

 

 以上、第4位までの発表でした。後編はまたいずれ。